アンパンマンの親、やなせたかし死亡デマ!?歌手デビューしていた!?あの曲の作詞者だった! [芸 能]
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乳幼児のお子さんが、必ずと言っていいほど興味を持つ 「アンパンマン」。
その著者、やなせたかしさんが13日に東京都文京区の順天堂病院で心不全のため亡くなりました。
世間的には大往生と言われる94歳。
でも、アンパンマンの声優を約25年もしている女優の戸田恵子さんは、ショックが大きいようですね。
やなせたかしさんとは、どういう方だったのでしょう。。。
↓ 今年の夏のやなせたかしさん
(ORICON STYLEより)
【 プロフィール 】
1919(大正8)年2月6日生まれ
高知県香美市 出身
東京高等工芸学校図案科(現・千葉大学工学部デザイン科)卒業
製薬会社の宣伝部に入社
1941(昭和16)年、日中戦争に出兵
終戦後、三越の宣伝部デザイナーを経て、独立
1973年、代表作『あんぱんまん』の絵本を出版
シリーズ化され、1988年、テレビでのアニメ放映が始まる
日本漫画家協会の会長を務める
手塚治虫氏は「人生の師匠である」
漫画家、手塚治に大きな影響を受けたようです。
色んな職を経験し、漫画家の道へ進まれたようですね。
【 死亡デマが流れた 】
2011年にツイッターで、死亡デマが流れたようです。
それは、やなせたかしさんが高齢・体調不良で、表へだんだん出なくなってきたからでしょうか。
やなせたかしさんの体調はボロボロだったようです。
(以下、本人の言葉を引用)
僕はがんはやっているし、こっち側(左側)の腎臓は取ってしまってないんです。 それからすい臓も、すい炎というのをやって上から3分の1を切り取っている。 胆のうもない。この間は腸閉塞をやって、腸を45センチも切りました。 心臓にはペースメーカーも入っていて、だからもうボロボロですよ。
やなせたかしさんを知る人は、高齢なのに元気なイメージがあったかと思います。
でも本当のところ、気持ちだけ元気でいたようですね。
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【 歌手デビューしていた! 】
やなせたかしさんが歌手デビューし、コンサートも年に数回行っていました。
曲名は。。。
「いいなぁアキ(安芸)」 2003年11月21日発売 ごめん・なはり線記念ソング。
「 ノスタル爺さん」 2003年12月26日発売
漫画家以外の顔があったんです!
人前で歌うなんて、漫画家にあまりいませんね(^-^;)
【 あの曲の作詞者だった 】
実は、あの名曲「手のひらを太陽に」の作詞者だったんです。
♪ ぼ~くらはみんな~生~きている~
ほとんどの方が口づさめるのではないでしょうか?
アンパンマンの歌詞もそうですけど、前向きな歌詞ですよね。
やなせたかしさんを調べると、「生きる」という言葉が良く出てきます。
戦争経験者が語る「生きる」は意味深いものがありますね。
【 アンパンマンはこうして生まれた 】
やなせたかしさんは戦争経験者ですが、戦争による食糧不足が背景にあったようです。
この時、空腹ながら 「食べ物が向こうからやって来たらいいのに」と思ったそうで、
この自らの飢えの体験から「困っている人に食べ物を届けるヒーロー」という考えにたどり着いたとか。
それで、アンパンマンが誕生したんです。
発想が面白いですよね。
奥様は、もう亡くなっていますが、2人の間に子供はいなかったようです。
「アンパンマン」が2人の子供と言っていたそうですよ。
やなせたかしさんと奥様の深い愛が込められた「アンパンマン」だったんですね。
漫画家として「アンパンマン」がブレークしたのは、やなせたかしさんが50代。
ずいぶん遅咲きですよね。
そういう意味では、「晩年は華やかな人生」になりました。
やなせたかしさん、たくさんの子供から大人まで「愛と勇気」をありがとうございました。
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乳幼児のお子さんが、必ずと言っていいほど興味を持つ 「アンパンマン」。
その著者、やなせたかしさんが13日に東京都文京区の順天堂病院で心不全のため亡くなりました。
世間的には大往生と言われる94歳。
でも、アンパンマンの声優を約25年もしている女優の戸田恵子さんは、ショックが大きいようですね。
やなせたかしさんとは、どういう方だったのでしょう。。。
↓ 今年の夏のやなせたかしさん
(ORICON STYLEより)
【 プロフィール 】
1919(大正8)年2月6日生まれ
高知県香美市 出身
東京高等工芸学校図案科(現・千葉大学工学部デザイン科)卒業
製薬会社の宣伝部に入社
1941(昭和16)年、日中戦争に出兵
終戦後、三越の宣伝部デザイナーを経て、独立
1973年、代表作『あんぱんまん』の絵本を出版
シリーズ化され、1988年、テレビでのアニメ放映が始まる
日本漫画家協会の会長を務める
手塚治虫氏は「人生の師匠である」
漫画家、手塚治に大きな影響を受けたようです。
色んな職を経験し、漫画家の道へ進まれたようですね。
【 死亡デマが流れた 】
2011年にツイッターで、死亡デマが流れたようです。
それは、やなせたかしさんが高齢・体調不良で、表へだんだん出なくなってきたからでしょうか。
やなせたかしさんの体調はボロボロだったようです。
(以下、本人の言葉を引用)
僕はがんはやっているし、こっち側(左側)の腎臓は取ってしまってないんです。 それからすい臓も、すい炎というのをやって上から3分の1を切り取っている。 胆のうもない。この間は腸閉塞をやって、腸を45センチも切りました。 心臓にはペースメーカーも入っていて、だからもうボロボロですよ。
やなせたかしさんを知る人は、高齢なのに元気なイメージがあったかと思います。
でも本当のところ、気持ちだけ元気でいたようですね。
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【 歌手デビューしていた! 】
やなせたかしさんが歌手デビューし、コンサートも年に数回行っていました。
曲名は。。。
「いいなぁアキ(安芸)」 2003年11月21日発売 ごめん・なはり線記念ソング。
「 ノスタル爺さん」 2003年12月26日発売
漫画家以外の顔があったんです!
人前で歌うなんて、漫画家にあまりいませんね(^-^;)
【 あの曲の作詞者だった 】
実は、あの名曲「手のひらを太陽に」の作詞者だったんです。
♪ ぼ~くらはみんな~生~きている~
ほとんどの方が口づさめるのではないでしょうか?
アンパンマンの歌詞もそうですけど、前向きな歌詞ですよね。
やなせたかしさんを調べると、「生きる」という言葉が良く出てきます。
戦争経験者が語る「生きる」は意味深いものがありますね。
【 アンパンマンはこうして生まれた 】
やなせたかしさんは戦争経験者ですが、戦争による食糧不足が背景にあったようです。
この時、空腹ながら 「食べ物が向こうからやって来たらいいのに」と思ったそうで、
この自らの飢えの体験から「困っている人に食べ物を届けるヒーロー」という考えにたどり着いたとか。
それで、アンパンマンが誕生したんです。
発想が面白いですよね。
奥様は、もう亡くなっていますが、2人の間に子供はいなかったようです。
「アンパンマン」が2人の子供と言っていたそうですよ。
やなせたかしさんと奥様の深い愛が込められた「アンパンマン」だったんですね。
漫画家として「アンパンマン」がブレークしたのは、やなせたかしさんが50代。
ずいぶん遅咲きですよね。
そういう意味では、「晩年は華やかな人生」になりました。
やなせたかしさん、たくさんの子供から大人まで「愛と勇気」をありがとうございました。
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