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肺がんが転移。電撃三五十五の余命と末期症状。電撃はダチョウ倶楽部のおかげ? [芸 能]

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検索ランキングに「三五十五」というキーワードが上がっていました。
おそらくまだ知らない方も多いので、たくさん検索されたのではないでしょうか。

パフォーマンス芸人グループ、電撃ネットワークの三五十五(51)の
7月から隠され続けていた衝撃的な肺がんの症状をお伝えします。。。


【 プロフィール 】

タレント名  三五十五(さんごじゅうご)
生年月日  1962年3月16日 51歳
グループ名 パフォーマンス集団「電撃ネットワーク」のMC(司会者)
本   名   小林 祐司
出 身 地   茨城県

↓ 電撃ネットワークの三五十五( 左から2番目 )
ssp20131013500view.jpg


【 三五十五 肺がん、脳転移まで 】

2013年7月に、「肺がんのためしばらく療養する」とホームページより報告がありました。

その時のプログでは、「療養する事になりましたが、必ず治して戻ってきますので応援お願いします」
              「このまま死んでしまうのでは?と思うほど辛い」と言っています。

5月頃から、体の不調を自身のブログで訴えていたようですね。

そして実は、7月の肺がん報告の時には、すでに脳に転移していることが分かっていたようです。
入院時に、「余命1週間」と医者が本人に宣告。

6月から肺がん末期の症状が出ていたようですね。(吐き気 ・めまい)
「モルヒネや抗がん剤の副作用で、髪の毛は全部抜けて痛々しい」とメンバーの南部虎弾が話しています。

それでも三五十五は病床で、前向きな気持ちで次のパフォーマンスを考えているそうです。

「座ったまま両手を床に当て、軽くなった自分の体を持ち上げる芸はどうかな」など。

元気になってステージに復活したいという芸人魂が伝わってきますね。

そこには頑張って闘っている姿がありました。

今までしてきた驚異のパフォーマンスのように、諦めないで、頑張って、復活劇となるよう、
驚異のパワーを見せてほしいですね。

心より応援していきたいと思います。


【 過去に肺がんにかかった芸能人 】

三五十五は、51歳。肺がんになるには若くて早すぎる印象がありますね。

そこで、今まで肺がんになった芸能人を調べてみました。

1996年 渥美  清(68)   俳優「男はつらいよ」の寅さん
2003年 吉田拓郎(67)   フォークシンガー
2006年 柴田恭平(62)   俳優   
2008年 筑紫哲也(73)   ニュースキャスター
2008年 峰岸  徹(65)   俳優 

やはり、51歳というのは若すぎますね。肺がんは進行がとくに早いそうです。
パフォーマンス上の喫煙が関係していなければいいですが。。。

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【 肺がんの末期症状と余命 】

いったい肺がんは転移すると、どうなるのでしょうか。
日本で一番多いとされている「肺がん」、末期症状と余命について調べてみました。


◇ 末期の症状と治療法 ◇

手足のしびれ、むくみや痛みが強くなり、食欲が減り衰弱します。
抗がん剤や放射線治療の副作用による吐き気などが続きます。

脳に転移したら、体の麻痺や言語障害が出て、意識がもうろうとし、
家族の顔すら判断できなくなります。

痛みがひどい場合には、モルヒネなどの鎮痛剤を使い、痛みを軽くします。


◇ 余 命 ◇

症状を表すのに、ステージ(病期)があります。
骨や脳などへの転移がある肺がんは、レベルの一番危ない進行した4期。

4期は手術の適用が困難なので、化学療法を受けた場合に1年の生存率が50%程度となります。


脳に転移したという事態を知ったご家族の気持ちは、計り知れないものがありますね。
三五十五にも、家族があります。

諦めないで、病魔と闘う気持ちが大切といいますが、
この状態に置かれたら誰でも弱くなる時があると思います。

身体の闘いと気持ちの闘い。。。
大変さは、この状態になった人でないと分からないほど、辛いものでしょう。


【 電撃ネットワークはダチョウ倶楽部のおかげ? 】

今回、「車いすに乗っていてもいいから、ステージに戻ってきてもらう」と仲間を励まし、
報道陣に胸を痛めながらも「脳に転移」と伝えたメンバーの南部虎弾(62)。

※ 写真 右から2番目

知る人ぞ知る、ダチョウ倶楽部の初代リーダーなのです。
ダチョウ倶楽部は当初4人でした。

ある日、リーダーの南部虎弾が上島竜兵に「ビー玉飲める?」、「金魚飲める?」と言い出し。。。

今のダチョウ倶楽部メンバーと南部虎弾の方向性が違ってきたらしいです。

南部虎弾はダチョウ倶楽部を1987年に脱退。

そして、過激なパフォーマンスを求めるメンバー同士が電撃ネットワークを結成したようです。

なので、今のダチョウ倶楽部が南部虎弾のパフォーマンスを受け入れてたら、
今の電撃ネットワークは無かったんです。

たしかに今となっては、芸風が全然違いますよね。
電撃ネットワークの過激なパフォーマンスを受け入れた三五十五に、あらためて芸人魂を感じます。


結成25年の電撃ネットワーク、メンバーの絆の深さが伝わりました。

海外でも人気のパフォーマンス。
この難関を乗り越えて、さらに強い電撃ネットワークになってほしいですね。



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茶子

この人達は、少し売れた時に、黒塗りの車に乗り、六本木で降りる際に「おらー、どけ!馬鹿!」と見向きもしてない歩行者に怒鳴って、車からでてきました。何様なのでしょうか。
「身から出た錆」でしょうね。
by 茶子 (2014-04-25 17:51) 

茶子

この人達は、少し売れた時に、黒塗りの車に乗り、六本木で降りる際に「おらー、どけ!馬鹿!」と見向きもしてない歩行者に怒鳴って、車からでてきました。何様なのでしょうか。
「身から出た錆」でしょうね。
by 茶子 (2014-04-25 17:53) 

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